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2016年デビュー16年目を迎える演歌歌手「山内惠介」さん。

そのプロフィールを改めてまとめてみました。

デビューからファンの方も、最近ファンになった方も
一緒になって応援していきましょう。

2016年、山内惠介さんもファンのみなさんもいい年にになりますように。
一年間元気を応援していきましょう。

33歳のイケメンは、夢の国と同い年

 

生まれは、1983年(昭和58年)5月31日生まれの現在33歳。
同じ年の同じ日に生まれた有名人を探してみましたが、
あまりいらっしゃらなく、元読売巨人軍の野間口貴彦投手ぐらいです。

1983年がどういう年であったかと言いますと、

日本総理大臣は、中曽根総理大臣。
アメリカの大統領は、ロナルド・レーガンさんでした。

この年の4月に朝の連続小説「おしん」がスタート。
9月には大韓航空撃墜事件がありました。

山内惠介さんもよくコンサートでも話されていますが、
1983年4月15日に東京ディズニーランドがオープンしています。

東京ディズニーランドと山内惠介さんは同い年なのです。

ちなみにこの年のヒット曲は、
「矢切の渡し」「めだかの兄弟」「メリーアン」「思い出がいっぱい」などなど。

テレビの「ザ・ベストテン」絶頂期の頃ですね。

 

33歳のイケメンは九州男児

 

山内惠介さんの生まれは、福岡県前原市です。
しかし残念なことに前原市は、今は存在いたしません。
2010年1月1日に前原市・志摩町・二丈町が合併し、現在は糸島市となっています。

前原市は、福岡県西部にあった市。福岡市に隣接していました。
古くは伊都国として、後に福岡藩と唐津藩との唐津街道の宿場町として栄えたそうです。
近年は福岡市のベッドタウンとして人口が増えているエリアだそうです。

現糸島市は、食べ物が美味しいらしいですね。
糸島牛・おまおう(いちご)などが有名で、糸島の食を扱ったグルメ本も出ていますね。

一度是非、行ってみたいですね。

そんな前原市で生まれた九州男児が、山内惠介さんです。

 

プロフィール

 

身長 178cm
体重 58kg
血液型 O型
星座 ふたご座
特技 水泳
好きな人 優しい人
最終学歴 福岡県立筑前高等学校卒業
師匠 水森英夫
所属レコード会社 JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
所属事務所 三井エージェンシー

 

デビューのきっかけは?

 

お母様が美空ひばりさん大ファンで、生まれる前からひばりさんの歌を聴いていたそうです。
そして生まれた後も毎年福岡市民会館で行われたコンサートをお母様の膝の上で観ていました。

お母様とのエピソードは、「徹子の部屋」で語られています。 → 関連記事はこちら

そういう家庭環境ですから、小学校、中学校と演歌一筋。

学校では、「演歌好きのちょっと変わった子」と見られていたようですが(笑)、
1999年10月13日、福岡県立筑前高等学校1年の時、生まれて初めて出場した福岡県下のカラオケ大会で、
作曲家・水森英夫先生にスカウトされました。 → 関連記事はこちら

その後、2000年7月、ビクターのプロデューサーに呼ばれテストを受けます。
資料によりますと、「越後獅子」「悲しい酒」「柔」などひばりさんの曲を歌って見事
合格したそうですね。

そして、2001年4月、「霧情」でデビュー。

わ、若い!

当時のキャッチフレーズは「ぼくはエンカな高校生」でした。

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